北海道大学の山口二郎教授が呼びかけた、上記の集会を紹介されたので行ってきました。
さすが、山口先生。明快で説得力のあるお話でした。
逸見勝亮先生のお話も聞けたのですが、戦後教育における教育勅語的な内容・・のお話は、なるほどな・・・と感じさせられました。
結論として、現在の日本には真の「民主主義」は育っていないのだ・・ということ。「能動的な市民」が育たなければ、この状況の打開はない・・と言うことでした。
私は常々「真の主権者を育てなければ・・」と、話したり書いたりしているのですが、そこに通じるのかな・・と思いました。
「愛国心」についてのお話も納得でした。
「愛国心」は、もともとの日本にあった考え方ではない。明治政府が国民を束ねるために持ち出してきた「上から」のもので、当時の知識人たちも批判していた・・ということでした。例えば「愛国者になるのは簡単だ。西郷は偉い。楠は偉い。と言ってさえおけば、あなたも愛国者」ということです。「愛国心等というものを持ち出し、権威にこびへつらう者ばかりがはびこると、国は間違った方向に行く」とも言っているそうです。全くその通りですよね。
最近の政府の見解も、矛盾だらけだと・・・
例えば、教育が悪いせいで、現在の国民は「権利ばかり主張して義務を果たすという責任感がない」という主張がありますが、これは完全に間違っていると・・
何故かというと、権利の意識があるのなら、あるいは強いのなら、「サービス残業」等ということが起きるはずがない。あるいは「多重債務」という問題も起きないだろう・・
権利の意識が薄いから、労基法の定めに従って、使用者と交渉するという考えに至らず、その状況を受け入れてしまっている。
また、法律に違反した法外な利息を払い続けている・・ということだと。
その通りですよね。
権利の意識は、国にとっては都合が悪いのかもしれませんが、我々にとっては必要な知識です。
個人の権利を守る・・と言う考え方がしっかりと根付いていれば、自分の権利と同様に、他人の権利も守らなければ・・と言う考えも生まれるはずだからです。
今の利己的な社会状況は、権利の意識が強いのではなく、権利意識の薄さが招いている状況だということです。納得ですよね。
いじめ問題に関しても、「子どもは大人を映す鏡です。大人の世界でイジメがはびこっているから、子どもの世界でもイジメがなくならない。例えば、沖縄では基地問題に対して、高市早苗沖縄担当相が『基地問題の進捗状況に応じて国からの交付金を出す』という趣旨の発言があったようですし、夕張の現状は、ある程度の財力を持った人間は市外へ転出させ、そうできない弱い者だけにして、最低限の行政だけをした場合、どうなるのか・・という実験だと。これが、地方や弱い立場の者に対するイジメでなくてなんなのか?・・ということでした。
教育問題でもそうですよね・・・全て現場の責任であるかのような報道をあおり、教育基本法改正を実現させようとしている。教育現場に対するイジメでしょう。
文科相のタウンミーティングにおけるやらせは、現行教育基本法の理念に最も反したものだ・・というのも頷いてしまいました。
つまり、現教育基本法は、「自立した個人」の育成を目指している。なのに、あのTMは、文科相が人員を集め、集められた者は質問事項まで準備してもらい、お金までもらって、自分の意見とは関係のない意見を述べる・・・・自立した個人とは言えないですよね・・・(×_×;)
現在の日本はファシズム以下・・というのも同感でした。
もちろん、ファシズムを肯定することではないです。
現在の日本がファシズムに向かっている状況に似ているのではないか・・という事に対してなのですが・・・
つまり、ヒトラーでさえ労働者の支持を獲得し得たのは、労働者の生活の安定を一定程度平等に実現する政策をとったからだ・・と。そう言えば、フォルクスワーゲン(このネーミングもヒトラー付けたの「国民車」というものですね)ビートルは、労働者も一家に一台自動車を持てるように・・という政策から生まれた車でしたね。
しかし、現在の日本は、「格差は仕方がない」というのですから・・・
そうして弱い者からさらに搾り取り、持てる者はさらに持てる者になろうとしている。これではファシズム以下だ・・・というのです。
まあ、戦前戦中の日本は、国家総動員で大政翼賛で、勤労動員、滅私奉公ですから日本的なファシズムには向かっていると言えるかもしれません。
こういう政策には賛同を得られにくいので、基本法を変え、国家の言うことを従順に聞く国民を育てる。そして憲法を変え、国家に逆らえないような国にしてしまうというのが、現政権のねらいなのでしょう。
こんなことが、わずか2時間あまりの中ではっきりとしたような気がします。