北の水辺で水面や空を眺めての独り言

by kitanomizube
 
不当な支配
またまた文科相が変なことを言ったようだ。参議院特別委員会。これを追求できないようでは野党もだめだろう・・・民主党は追求する気もないのだろうが・・・自分たちの対案も同様だからだ・・・このままでは国民には選択肢はない
http://www.asahi.com/politics/update/1122/010.html?ref=rss
現行の教育基本法は、「教育は不当な支配に服することなく・・・」と規定している。これは、その成立の過程からも明らかなように、教育に国家権力の「不当な支配」を受けない自由を与え、国民の「自由及び権利」を守るための規定である。言うまでもなく、戦前の国家権力による教育の管理統制を反省しての規定である。
先日の東京地裁の判決も、この考えに沿った判決と言える。都教委による「君が代の際の起立の強制」を「不当な支配」にあたると明確に判断しているからだ。
現政権は、このような判断が面白くないのだろう。伊吹文科相は「不当な支配」を「政治結社、イズム(主義)を持っている団体の介入を排除する」目的と説明している。一部の政党や組合による「介入」を念頭に置いていることを示唆したらしい。
 しかし、考えてみよう。このように現法規の崇高な理念をねじ曲げて判断することこそ「政治結社、イズム(主義)を持つ団体の介入」に当たるのではないのか?
 さらに問題なのは、「国歌を歌わないことを選択する国民の権利」を、「単なる政治闘争の一環」に矮小化する判断だ。そして「内心に立ち入って強制しない」はずの「国歌斉唱」を「強制」しようとしている。
 前政権から引き続き盲目的に追従しようとしているアメリカでさえ、国歌を歌うか歌わないかは国民の自由意志が尊重されている。
 こういった一連の発言から、現政権が目指す国家像が見えてこないか?
政府のやることに無批判に追従する・・隷従する・・物言わぬ国民の育成だ。
それこそが「個人より『公の秩序』を優先させる」という憲法への改正の目指すところだからだ。これを全体主義への回帰でなくて何だというのだろう?
思考停止の国民が、思考を再開することを切に望む。

by kitanomizube | 2006-11-23 05:41 | 教育
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