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宮沢喜一元首相が亡くなった
北海道新聞の記事から
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宮沢元首相が死去 87歳 保守本流、護憲の論客(06/28 23:51)
自民党の宮沢喜一(みやざわ・きいち)元首相が二十八日午後一時十六分、老衰のため東京都渋谷区神宮前六の三四の一の自宅で死去した。八十七歳だった。東京都出身。葬儀は七月一日正午から東京都港区南青山二の三三の二○、青山葬儀所で。喪主は妻庸子(ようこ)さん。
軽武装、護憲、積極財政による経済成長路線を政治理念に「保守本流」として戦後保守政治をリードし、一九九一年に首相に就任した。しかし九三年に自民党分裂で内閣不信任決議案が可決され、衆院解散・総選挙では過半数割れに追い込まれて同年八月に退陣。自民党が結党以来握ってきた政権を手放し、非自民連立政権が誕生するきっかけとなった。
一九年(大正八年)に戦前の衆院議員だった裕氏の長男として生まれ、東大法学部卒業後、大蔵省(現財務省)に入った。五一年には、戦後日本の出発点となるサンフランシスコ講和会議で吉田茂首相に随行、戦後政治の生き証人とも呼ばれた。五三年参院議員に初当選。六二年の池田勇人内閣で経済企画庁長官として初入閣した。六七年には衆院に転じ、通産相、外相、官房長官、党総務会長、蔵相などを歴任。九一年十一月に海部俊樹首相の後を引き継いだ。
首相在任中は、国連平和維持活動(PKO)協力法を成立させ、自衛隊の海外派遣を可能にした。一方、住宅金融専門会社(住専)の不良債権処理では公的資金投入の必要性を指摘したが、構想は頓挫。バブル経済崩壊後の不良債権処理を遅らせる形となった。
九三年には衆院小選挙区制導入を柱とする政治改革に取り組んだ。しかし野党提出の不信任案が、当時、自民党竹下派から分かれた小沢一郎氏(現民主党代表)ら羽田派の同調で可決され、衆院を解散。自民党は同年七月の衆院選で敗北した。
退陣間際に発生した北海道南西沖地震では被災地の奥尻島を視察、激甚災害法の適用を決めた。
金融危機に揺れた九八年には小渕恵三内閣で、首相経験者としては異例の蔵相に就任。昭和初期の金融恐慌から日本経済を立て直した当時の高橋是清蔵相になぞらえ「平成の是清」と期待されたが、大規模な財政出動も景気回復につながらず、財政赤字が膨張した。
二○○三年の衆院選の際、小泉純一郎前首相から自民党の七十三歳定年制を理由に引退を迫られ、立候補を断念したが、その後もリベラルの論客として憲法九条改正に慎重な姿勢を貫き、新聞、テレビなどで積極的に発言していた。
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後藤田さんといい、宮沢さんといい、自民党でも戦争への道を明確に否定する人がいた時代が終わりを告げようとしている。
自主憲法制定という自民党の中で、9条を守る姿勢だった人たちだ。
これで世の中の右傾化は、より強まるのかもしれない・・
もう、転覆しかないくらい傾いているとは思うのだが・・・
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by kitanomizube
| 2007-06-29 05:37
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