北の水辺で水面や空を眺めての独り言

by kitanomizube
 
結局、教育をどうするのか?

教員給与、査定で20%増減だそうだ。しかしこれは「給与だけの問題」ではない
朝日新聞の記事から

〜〜〜ここから〜〜〜
教員給与、査定で20%増減 再生会議提言へ
2007年04月08日09時44分
 政府の教育再生会議は、ほぼ一律だった公立学校教員の給与を査定によって80〜120%の幅で決められるようにし、あらたに「上級教職」をつくるなど、成果を反映させる新制度を提言する方針を固めた。予算を学校の児童・生徒数に応じて配分し、企業や個人が学校に直接寄付できる制度も提言する。道徳教育の強化と並んで、学校現場への競争原理導入という安倍首相の教育改革の二本柱が鮮明になった。
 再生会議は、公立学校の義務教育費のうち8割弱が人件費にあてられる現状を重視。「公教育の高コスト構造を見直す」として人材確保法の改正と給与や退職金、年金水準の見直しを求める。
 さらに査定の基準作りを提言。現行基準の増減それぞれ20%の幅で給与を決められる制度や、教え方や学級運営に優れた教員を上級教職として処遇する制度を求める。
 また、公立学校の統廃合を進め、教職員や経費を削減、浮いた財源を設備や図書の充実、学校独自の取り組みに振り向けられるようにする。学校選択制を拡大して競争を促し、「児童・生徒1人当たりに着目した予算配分」も打ち出す。安倍首相が著書「美しい国へ」で導入に前向きな姿勢を示した教育バウチャー制度の考え方に基づく。
 各市町村ごとに教育予算の使われ方を一律の基準で公表する「公教育費マップ」(仮称)の作成も提言。自治体間の競争も促す考えからだ。
 また大学教員の給与についても、60歳以上で2割、63歳以上で3割それぞれカットし、実績のある若手に手厚く配分する仕組みを求める。
 これら改革案について再生会議は9日の「学校再生分科会」(第1分科会)で議論のたたき台として公表、参院選前の5月にまとめる第2次報告の柱にしたい考えだ。
 ただ、再生会議はすでに、子どもの規範意識を向上させる観点から道徳の教科化を打ち出しているが、成績評価の対象にするかどうかなど会議内に異論がある。今回の改革案でも、学校間で予算配分に差をつけ、民間企業が小中の公立校など学校に寄付できるようになると、義務教育課程でも学校間の格差が拡大しかねない。改革の二本の柱とも是非を巡る論議が過熱しそうだ。
〜〜〜ここまで〜〜〜

しつこいようだが、問題は「教員の給与」だけのことではない。
現在「教育再生」の名の下に行われようとしている施策全てが、本当にそれで良いのか?
その結果、出現するであろう、将来のこの国の姿は、どうなるのだろう?

国民は、自分の事として考えてほしい

どんな国になるか想像してみよう

まず、「公教育の高コスト構造を見直す」と言うが、だから聞きたいのだ。
国民の、将来の国民を作るための教育を、どうしたいのか?
「公教育=義務教育」だ。
将来の日本を背負って立つ子どもたち全てに、必要な知識を学んでもらうために「公教育」はある。
その「公教育」は、地域や学校によって差があって良いというのか?
また、教育は、目に見える製品を作っているのではない。
「高コスト」というが、製品を作って売り上げを競うのなら「コスト」という理屈も通るだろう
だが、そうでない以上、何を持って「高コスト」というのか?
また、教育は「コスト」をかければかけるほど「効果」も高まるのは、国民に周知されていることではないのか?
だからこそ、私立の学校の「お受験」が加熱するのだろうし、塾や習い事も繁盛するのだろう。
そこで何故「公教育」にかかる「コスト」だけを問題にするのか?
ここで「公教育のコスト」を「削減」すればするほど、それは当然「教員の人員削減」でもあるだろうし「用紙代等必要経費の切り詰め」でもあるだろうし、「設備の不備」へもつながっていくだろう。
つまり、「貧乏で、教員も少なく、必要な物も買えず、校舎も設備も古く荒れ果てた学校」が増えるのだ。

その結果、ますます「お受験」は加熱し、私立の学校は潤うだろう
が、「公立の学校」は退廃していく・・・のではないのか?
これが「教育再生」なのか?

教員は、「免許更新制」や「給与査定」におびえ、子どものことを考え、教材を工夫した授業よりも、国にすり寄り、減点されない授業を目指すものが増えるだろう・・・また、「給与査定」を優位に運ぶために、「査定」する者・・「管理職(だとおもわれる)」にすり寄る「野だいこ」と「赤シャツ」みたいな教員でいっぱいになるだろう・・
そこで「子どものことを考える」「山嵐」は解雇され「坊ちゃん」は、そんな職場を捨てるのだ

これが「教育再生」なのか?

学校選択制では学校間の競争を煽り、その結果、各学校は、何を重視するのだろう?
私立なら、独自のカリキュラムで進学率をアピールしても良いだろう
それは、当然、生徒を入学させるときから選抜制になるのだろうから、所謂「お受験」で、生徒を選別すればいいのだから。
しかし、「公教育」はそうはいかない。「どこの市町村も、どの学校も、平均した教育を受けられるように整備されるべき」なのが「公教育」ではないのか?
とすれば、少なくとも学校が子どもを選ぶことはできない。
また、小学生や中学生段階で、自宅から遠く離れた学校へ通うことは通常不可能だろう。
東京のように公的交通機関が発達していれば別だろうが、小学生がランドセルを背負って何時間も電車に揺られるのも良いとは思えない。
とすれば、どこの学校も平均的な教育を受けられるような条件整備をし、自宅から一番近い学校へ通えるのが望ましいのではないのか?
そこに「競争原理」を持ち込むと言うことは、「学校間格差」をあえて付けると言うことである。
「学校間格差」は、「地域間格差」でもある。
例えば、北海道のように支庁毎に人事を行っている場合、教育長の力加減で「優秀」な教員を集められるかどうかが決まるだろう。
そうなると、「優秀な学校」の市町村と「劣った学校」の市町村ができあがる。これが「地域間格差」でなくてなんなのか?
そして、同じ税金を払っている国民として、これが許せるのか?
まあ、現状でも同様な現象は見られるのだが、競争を煽ればより顕在化するだろう。
教職員の採用や人事権も市町村の教育委員会に任される話も出ているが、そうなればますます、お金のある、力のある市町村は「優秀」な教員を集め、貧しい、力のない市町村は集められないことになるだろう・・どう?

自治体毎の「教育費の使われ方」を表示する「公教育マップ」も作成するという。
これは自治体間の競争も煽ると言うことだ。
ここで問題になるのは、夕張のような「財政再建団体」及びその「予備軍」だろう。
東京都のように財政が豊かな市町村は、どうにでもできるだろう。
しかし、北海道のほとんどの自治体は、どうなるのか?
当然、ここで「地域間格差」が拡大するだろう。

更に、予算の配分で「学校間格差」をつける・・というのだから、貧しい市町村の、中でも「費用対効果・・・があるとするならば・・疑問だが」が上げられなかった学校は、更に予算を削られると言うことだ。

資産を持っている人たちは良い。
子どもの教育のために、好きな場所に転居すればよいのだろうから。
多くの国会議員の二世三世がそうであるように・・
北海道出身とか、地元とか良いながら東京しか知らない町村君や中川昭一君のように、そうしてきた人は何も変わらない。
しかし、多くの国民は、おいそれとそうすることはできない。
ワーキングプア・・と呼ばれる人々が増えている「格差社会」の現実化する現在、全ての人が自分の居場所を捨てて逃げ出すことなどできないのだ。

これが「教育再生」なのか?

みんな、自分のこととして考えてみようよ

「学力低下」と宣伝し「教員及び学校」に責任を転嫁し・・・そこにはころころ変わる行政方針・・・例えば「ゆとり教育」や「その見直し」という・・・その行政の責任は不問なのだから・・・推し進めようとしている「教育再生」の結果、どんな国の姿が浮かび上がるのだろう?

この「教育再生」の結果、地方はどうなると思う?
夕張はどうなるの?
何かだまされてはいないのか?
激しい憤りを感じる

by kitanomizube | 2007-04-09 02:09 | 教育
<< 結局、他に選択肢がない・・ 極東連合でもできないのかね・・・ >>


S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
最新のトラックバック
お気に入りブログ
リンク
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
関連リンク