北の水辺で水面や空を眺めての独り言

by kitanomizube
 
功の多少を計り、彼の来処を量る

日本の食文化を作ったのは道元だったのか
ECOJAPANの記事から

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食崩壊の危機と戦った道元禅師
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民俗研究家、フリーライター=結城登美雄
 「君が食べているものを言ってみたまえ。君がどんな人間かを言い当ててみせよう」とは、いわずと知れたフランス美味学の祖、ブリア・サヴァランの名言だが、この人間と食の根源的関係にせまる言葉の矢を、現代日本の食状況に放ったとしたら、どんな日本人像が浮び上がるだろうか。
 いま、この国の食がゆらぎ続けている。飽食の中の食料自給率低下。食生活の乱れと病気。食の安全性。伝統的食文化の危機・・・。そのせいだろうか、食の崩壊をくい止めようと国は「食育基本法」を制定し、食育担当大臣をおき、省庁こぞって「食育」に取り組んでいる。朝食の欠食や生活習慣病の割合などの数値目標を掲げ、自治体には「食育推進計画」の策定を義務づけ、国民運動にするべく並々ならぬ決意のようである。
 だが、国家が拳をふりあげ、それを食卓にまで及ぼそうとすることに対しては、私などには少々心理的抵抗なきにしもあらずだが、しかし、それほどにこの国の食をめぐる事態は深刻なものがあるのだろう。
 しかしながら、少し気がかりなのは、この運動の視点が「食事バランスガイド」に見られる如く、食べる側の視点に偏りすぎ、それを支える生産の視点が希薄なことである。食育運動が表層的な青少年教育に終わらず、人間と食の本来を取り戻すために、少し立ち止まり、はるか800年前に、今日以上の食崩壊の危機の中で戦った、ひとりの僧侶の言葉に耳を傾けてみたい。
 曹洞宗の開祖、道元禅師は鎌倉仏教の祖のひとりにとどまらず、日本の食文化の基礎を、ほとんど独力で切りひらいた最初の人であり、それを哲学にまで高めた人物である。道元がきずいた食の哲学をもとに精進料理が生まれ、やがてそれが日本料理の大系へと展開され、千利休の茶道をはじめとする様々な食領域に影響を及ぼしていく。日本の食文化は道元なくしては考えられないほどにその存在は大きく業績は多岐にわたる。
日本料理の原点である精進料理。食と器のひとつひとつに食の心がこめられている
 食材の扱い方、献立のたて方はもちろんのこと、五味(甘・酸・辛・鹹・苦)、五色(赤・緑・黄・白・黒)、五法(生・煮・揚・焼・蒸)を基本にした調理料理の心得。さらには食器の扱い。箸づかいひとつに至るまでの食の作法は道元の実践哲学からはじまった。今日、私たちが何気なく食事の前後に発している「いただきます」「ごちそうさま」も、そのルーツをたどれば道元に帰着する。
 それまでは食は、ただ腹を満たすためのものとして扱われ、ともすれば軽んじられていた。それを道元は人間の生き方の問題として極め、「食(じき)即ち禅」の境地にまで至った。なぜそれほどまでに探求せざるをえなかったのか。おそらくその背景には食の崩壊と人間性喪失が同時進行する現実があった。すなわち承久の乱をはじめとする戦乱の世、人心の荒廃である。
そうした中で建暦3年(1213年)、14歳で比叡山に上り天台の僧になった道元は修行に励み、大蔵経五千巻を2回も読み返しながらも、文字知識だけでは満たされない根本の疑問を拭いきれないでいた。天台は「本来本法性、天然自性身」即ち、人は生まれながらにして仏性という素質をもっている、と教えるが、ならばなぜ人はわざわざ修行をせねばならないのか?修行とは何か?こうした問いに答えず形骸化した祈祷に走り、貴族に迎合する仏教の姿ばかりが目についた。
 その不満をバネに24歳の道元は宋に渡り4年間の修行の日々を送る。やがてある日道元は異国の地で、台所方をつとめる典座(てんざ)の老僧と出会う。教えを請うべく若き道元は老僧を食事に誘うが断られる。「私がいなければ修行の者たちの明日の食事に支障が出る」と。「あなたほどの徳の高い人が坐禅や経典を読まずに食事づくりばかりするのか、代わりの人がいるでしょう」と切り返せば、「日本から来た人よ、あなたはまだ弁道修行がどんなものかを分かっていない。典座の職こそ老人にも出来る修行なのだ。他人にまかせるわけにはいかない」と立ち去ってしまった。
 弁道修行とは、真実は現実世界にあらわれており、その生活の中にこそ修行の本義があるとの意味だが、観念世界を生きてきた道元はショックを受ける。また別の日、暑いさ中に老典座が汗だくになって海草を干している。その苦しさをみかねて他の人間にやらせたらと声をかければ、「他は是れ、吾に非ず」、他人がしたことは自分の修行にならないと断られてしまう。ようやく典座という食事作りの修行の厳しさと重要に気づき、以来道元の修行は知識をはなれ、日々の生活の細部のすべてが修行と位置づける独自の思想を展開していく。
修行僧が托鉢や食事のときに用いる器である「応量器」
 しかしようやく帰国した道元が日本でみたものは、「僧食の事、あたかも禽獣の如し」、動物以下の無作法な日本人の食の現実だった。そして悲しみのうちにまとめられた書が『典座教訓』『赴粥飯法(ふしゅくはんほう)』。これは今なお日本の食の原書である。どの1行からも身をもって道元が体得した至宝の言葉が伝わってくる。食べ手の作法と心得をまとめた『赴粥飯法』には次のような言葉がおさめられている。 

 「功の多少を計り、彼の来処を量る」
 その意味は、「目の前にある食事が、作られてここに来るまでにかけられた多くの手間と労力を考えなさい」というものである。道元はまた、今日でいう加工食品のことを、物を粗末にしない食べもののことだという。どんな材料も天・地・人の恵みを受けて育てられたのだから大切にしなさいとはしばしば言われてきたところだが、さらに一歩踏み込んで、何人もの人手をかけられて出来たものが加工食品なのだから、特に大切にすべき、とさとす道元の食の本義を語る言葉には、現代の加工食品に囲まれて暮らす私たちの食状況と、その生産と消費のありようを問う深い味わいがあるように思える。(初出:『日経エコロジー』2007年6月号)
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「功の多少を計り、彼の来処を量る」

と言う言葉、今の人々に聞かせたい言葉だ
特に若い人々に
中学生なんかも平気で給食を残す、捨てる
おいしくない・・とかいって食べない・・それでいてジャンクフードばかり手にする
もっと自分の身体を形作るものなのだから気を遣わないとね・・

赴粥飯法・・読まなきゃ(^_^;)

by kitanomizube | 2010-06-08 23:11 | グルメ
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