|
平安時代の排水管が出土している 朝日新聞の記事から
〜〜〜ここから〜〜〜 平安の配水管「木樋」全長15m出土 水漏れ防止措置も 奈良県高取町の薩摩遺跡で昨年出土した、ため池から田に水を引くための平安時代の「木樋(もくひ)」が、全長約15メートルに達することがわかった。県立橿原考古学研究所(同県橿原市)が、25日発表した。古代の木樋がこれほど状態がよく見つかる例は珍しい。水漏れや沈下防止の措置も施され、当時の高度な技術が採用されたとみられる。 昨年、木樋の先端部分1.2メートルほどが見つかっていた。 木樋は、奈良時代から平安時代(8〜12世紀)のため池(幅約40メートル、奥行き約90メートル以上)の堤(高さ約1.2メートル)を突き抜ける形で設置されていた。杉とみられる角材(幅約50センチ、厚さ約30センチ)をくりぬき、6メートルと9メートルの2本をつないで造られていた。 2本のつなぎ目や、ふたとの合わせ目に杉皮を巻いて水漏れを防ぎ、木樋の下に枕木を置いて沈下を防いでいた。 近くで出土した銅銭の鋳造年代から、9世紀前半ごろに造られたものらしい。 木樋の上下からは、別の木樋3本(うち2本は長さ各約5〜6メートル)も出土した。池の底に土がたまると、木樋を堤のより上部へ付け替えていたとみられ、約400年間に3度、池の改修工事をしていたこともわかった。薩摩遺跡のため池は、出土した木簡から地元の渡来系氏族が造ったものと判明している。 7世紀に造られ、最古の人工池とされる狭山池(大阪府大阪狭山市)では、全長約70メートルの木樋が見つかっている。工楽善通(くらく・よしゆき)大阪府立狭山池博物館長は「非常に丁寧な造りで、当時の最高水準の技術を採用している。渡来人がかかわって造った狭山池と共通部分も多い」と話す。 現地説明会は28日午前11時〜午後3時。小雨決行。近鉄市尾(いちお)駅から北東へ徒歩15分。(渡義人) 〜〜〜ここまで〜〜〜
現代流に言うと、農業用水確保のためのダムと用水路だが・・ 渡来系の技術で造られているという 渡来系とは、通常朝鮮半島から渡ってきた人を指す だから現在で言えば、在日の方々
元々、日本人のルーツの一つ、弥生人は朝鮮半島から渡ってきた人々だと考えられている その弥生人が縄文人を支配して出来た国が日本 当然、その頂点に君臨する人々も・・・である
その後、渡来人とは朝鮮半島から新しい技術を日本に伝えた人々だ
つまり、人間的にも技術的にも知識の上でも、朝鮮半島は先生の国だった その国を攻撃し、植民地支配したんだね・・・100年前に・・・ ○ンコロ・・・等と言って蔑視したり・・・ なんだか自分のことではないのに恥ずかしい
|
|
|
by kitanomizube | 2009-11-25 23:50 | つぶやき
|
|
|
|
|
|
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
お気に入りブログ
リンク
ネームカード
ファン
関連リンク
|