北の水辺で水面や空を眺めての独り言

by kitanomizube
 
不偏不党

5号館さんのエントリーに書かれていた産経の話しが気になったので読んでみた
毎日新聞の記事なのだが・・

〜〜〜ここから〜〜〜
産経新聞社:「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ」 社会部ネット書き込み
 産経新聞社社会部が衆院選に合わせて短文を発信・表示するネット上のサービス「Twitter(ツイッター)」に開設した公式ページで、記者の書いた文章が批判を浴び謝罪文を掲載していたことが1日、分かった。
 同社によると、公示日の8月18日から投開票翌日の同31日まで選挙取材班のコメントなどを発信。民主党圧勝が明らかになった同30日深夜以降に「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ」「産経新聞が初めて下野」などと表示した。批判的な意見が多数寄せられた後、「社会部として是々非々の立場でのぞみたいという意思表示のつもりでした」「軽率な発言だったと反省しています。ご不快の念を抱かれた方には、おわび申し上げます」と謝罪した。
 同社広報部は「『不偏不党』を社是としており今後も方針に変わりはない。一部内容に誤解を招く表現があったので、社会部選挙班として説明と理解を求める趣旨の文を提示した」とコメントした。【真野森作】
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産経がこういうことを書くのは、今に始まったことではないし、驚くことでもない
でも、広報部がコメントした中に「『不偏不党』を社是としており今後も方針に変わりはない。」という部分があり、逆にここが気になった(^_^;)
『不偏不党』・・・・って、偏り無く、どの党にも依らない・・・・っていうような意味だよね??

産経が??
と思ったので、本当にそういう社是なのかと思って、wikiで調べたら
こんなことが書いてあった

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「不偏不党」の放棄 [編集]
1958年、東京進出による借入金が34億8千万円、手形13億4千万円まで累積し、前田が住友銀行頭取・堀田庄三に財界からの支援を要請した結果、国策パルプとフジテレビ両社長を務めていた水野成夫が代表取締役に就任し、財界による「はっきりした保守新聞」の要望に答える形での紙面刷新を行った[7]。さらに、産経労組が新聞労連より脱退し労使平和協定を結び、御用組合となって社内の反対勢力を追放した。借入金累積額が28億円まで膨らみ水野が退陣すると鹿内信隆が社長に就任し、1969年7月には「新聞が本当に不偏不党の立場でまかり通るような安泰なものに、今、日本の国内情勢が成っているでしょうか」「完全と守ろう『自由』、警戒せよ、左翼的商業主義!」 と宣言し不偏不党の放棄と正論路線を打ち出した[7]。この傾向は住田良能(後に社長)が編集局長となった1980年代から、さらに強まった[8]。
戦後の日本が無批判に受け入れてきた民主主義・社会主義・進歩主義・平等主義に傾れてはならないと主張し、“このまま放置すれば日本精神の根幹を変えてしまい国の崩壊に繋がる”と訴えている[9]。また、「“ナンバーワン”よりも“オンリーワン”を目指す新聞である」と公言し「新聞はみな同じではありません」「群れない、逃げない。モノを言う新聞」とのキャッチフレーズの下に独自路線を進むことを宣言した。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙において民主党の大勝と自由民主党の大敗による政権交代の結果を受け、社会部(選挙取材班)はTwitterにて「産経新聞が初めて下野なう[10]」「でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが、産経新聞の真価を発揮するところ」と発言[11][12]。つまり、筆者は産経を自公政権の与党と認識していたことになる。批判が集中しために同じくTwitterにて軽率な発言であったことを謝罪した[13]同社広報部は「『不偏不党』を社是としており今後も方針に変わりはない。」とコメントしている。 [14]。
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フジテレビの社長が代表取締役に就任して、この路線を放棄していたんだね・・・
しかも労組を御用組合化して反対勢力を追放・・・これって不当労働行為の疑いはないの??・・・
新聞労連を脱退・・・これで、今の時代、雇用や賃金を守れているんでしょうか??

鹿内信隆をwikiで調べると、とんでもなかったことはわかりますね・・・

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エピソード [編集]
* 役員を務めていた会社には労働組合を作る事はおろか存在も認めず、作ろうとする者には解雇・配転という懲罰を与えた。それ故一部の保守論客からも不評を買っている。産経では主流派の御用組合化に反発した社員が“闘う”組合(反リストラ・マスコミ労働者会議産経委員会、通称「反リストラ産経労組」)を結成。後に社長を務めた日枝久や横澤彪などのフジテレビ関係者が後に「恐怖政治だった。」と回顧する程であったが五社英雄は信隆シンパであったという。一時フジテレビの製作部門が本体から切り離され、子会社として設置した「ワイドプロモーション」所属の社員として本体社員よりも(待遇・給与面において)一ランク下の位置付けで扱われるに至ったのも製作部門の社員に労組の幹部が多数在籍していたことから、部門全体に連帯責任をかぶせる意味合いで採られた措置であるとされている(のちに「ワイドプロモーション」は「フジ制作」に名称を変更、1980年に本体に吸収されこれによりフジテレビ内の製作部門が完全復活した)。
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つまりは、『不偏不党』の社是なんてものは、守る気はない・・・というか、積極的に偏ってきたと言えるのでは(^_^;)

ここで驚いたのは、wiki
今回の毎日の記事が、すでに編集されて載っていること(^^)
すごいですね編集された方

by kitanomizube | 2009-09-14 04:58 | 社会
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